オンライン対戦ゲームという精神的コストパフォーマンス最悪のコンテンツ
今では当たり前のようにプレイしているオンラインゲームだが、当初を知らない私でも一応は黎明期少し先程度からプレイしてる
(初出2005年にCS系やアングラFPSをプレイ)
当時感じていたのは、キャラクター動かすことでの楽しさや顔の見えないプレイヤーとの交流だ。自分が必死にキーボードを叩き、マウスを振り回し、一心不乱に敵を倒そうとしていたのは今でも覚えているし戻りたいとすら思う。
しかしあくまで”敵を倒そうと”だったのだ。
この考え方が段階的に上り詰めることそのものが精神的コストパフォーマンスを悪くしているのだ。
FPSというのはトーナメント系とCS系がある(他にもあるだろうがここでは伏せる)
前者は1v1で(若しくはFFA)後者は5~7人程度のチーム戦だ。
オンラインゲームの問題点は後者のチーム戦にある。
ゲーム形態に依るのだが、大体はRole(役割)が存在する。
Overwatchでは、TANK、DPS、SUPPORT
CSでは、SUPPORT、LURKER、RIFLER、AWPER
のように個々が与えられた役割を全うして初めて”チーム”になるのだ
しかし、このRoleも良いことばかりではなく、むしろ悪い事のほうが多い。
Roleに依存したゲームはプレイヤーを縛り付けるのだ
Roleを全うできないプレイヤーはBlameされる
誰にって?もちろんSUPPORTだ
ゲーム全般におけるサポートは便所掃除のようなものだ
好きな人間は大好きだが、8割の人間は嫌う
しかし、掃除しないままではいつまでも汚い
だからやるのだ。
そんな苦労をしている人間に、ソファにくつろぎながらマウス片手に映画でも見ていたら腹が立たないか?私なら立つ
だから活躍できない花形RoleはBlameされREPORTまでされるのだ
こんな縛り付けられたゲームを実際にやるとどうなるか
辛いのだ、苦しいのだ、つまらないのだ。
ならやらなければいいというが彼らはオンライン対戦ゲームというコンテンツを投げる行為そのものが概念として存在しない。
ならどうするか?強くなればいい、依存しなければいい、一人で対戦そのものを破壊すればいい。
Pubstomperとはよく言ったもので、対戦ゲームにおけるキャリー行為は昔からある。
Dota2やLOLは特に顕著で、Overwatch、CSGO、TF2なども例外ではない
弱い人間がよく言う台詞がある。
”味方が5人雑魚で勝てるわけない”
”俺が活躍できないのはアイツのせい”
”構成がゴミ”
等である。面倒なので今から全てOWの話に切り替えるが・・・・
構成どうこうの話はGMに行ってから論議してほしいと私は思う。
なぜか?君たちはBoosterというの知っているだろうか?
お金を貰いランクや勝率、MMRを上げる人間のことだ。
Boosterは性質上一人で行うことが多い、理由は色々あるが
ならそのBoosterは毎試合”良い”味方とあたっていると思うか?
当たらないんだよ。
だから一人で9人11人を相手するのが基本だ (味方も敵として見るため)
そんな事例が少なくないのに、自分の努力を棚に上げて味方のせいとToxiになりBlameを繰り返す。
最低野郎だと言いたいが、案外しょうがないのだ
先程も言ったが辛いのだ、練習はしたくないのだ。
私は先日にチームのリーダーに有ることを言われた。
”お前は勝利をBETにかけているギャンブル依存症だ” と
ギャンブル依存症というのは勝った時に脳に大量の快楽物質が出るらしい(詳しくは医者じゃないので知らないが
勿論コレは依存症でなくても分泌されるらしい。
ゲームの勝利や無双状態のときも有る種の興奮状態になり脳内麻薬がでるとリーダーは語っていた。
私を含むBlameやToxic達はこの勝利状態を固執し、勝利にALLINしてしまうから、負けた時に残るのは楽しさではなく、仲間に対するイライラだけなのだ
これがオンライン対戦ゲームにおける精神的コストパフォーマンスが悪い所以だ
どうするか?
一人のときはチャットをしなければいい、ただそれだけ
問題はフレンドやチームプレイをしているときだ
まず勝利をBETしないことだ。
BETすべきはチームメイトの人間に対する感謝なのだ
ROLEは関係ない
DPSのはHEALとTANKに感謝し
TANKはHEALとFLANKERに感謝する
HEALはMAINDPSとOFFTANKに感謝する
これだけでいいのだ
もし負けても次は勝とう!次はこう楽しもうという向上心は残ったままなのだ
勝てば信頼や興奮、楽しさといった、勝利のみのBETでは得られないバックがあるのだ。
オンライン対戦ゲームは負の文化だと思って入るが、要は考えてどうにでもなる。
下手な人はいる。性格の悪いやつも居る。そんな中で自分が如何に染まらないかが重要なのだ。
キャリーしている今の自分に言いたいのは、勝たせてるとか活躍しているではなく、
ゲームをプレイしているということ、そこには見えないが相手がいるということ。
コレを考えられない人間は殺人者やサイコパスと何ら変わりはしないのだ。